広島高等裁判所 平成9年(行コ)4号 判決 1998年12月01日
控訴人
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
外山佳昌
被控訴人
地方公務員災害補償基金
広島市支部長
平岡敬
右訴訟代理人弁護士
河原和郎
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人が控訴人に対し、平成二年九月四日にした地方公務員災害補償法に基づく公務外災害認定処分のうち、慢性肝炎(昭和六一年一〇月肝炎発症、以降慢性化、昭和六二年九月ころより増悪化)を公務外災害と認定した部分を取り消す。
2 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は第一、二審とも、これを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人が控訴人に対し、平成二年九月四日にした地方公務員災害補償法に基づく公務外災害認定処分を取り消す。
第二 事案の概要
一 控訴人は、広島市の職員であるが、腎臓障害のため、昭和五五年五月、身体障害者福祉法施行規則七条別表第五号による身体障害者一級の認定を受け、昭和五六年四月には腎臓移植の手術を受けた者であるところ、中区役所収納課第二収納係に勤務していた昭和六〇年一月に深部・下大静脈血栓症が発症し(以下、これを「血栓症の発症」という。)、また、安佐南区役所地域振興課振興係に勤務していた昭和六一年一〇月には肝炎が発症し、以後、慢性化し、昭和六二年九月ころから増悪した(以下、これを「肝炎の発症・増悪」といい、血栓症の発症と肝炎の発症・増悪を併せて「本件疾病」という。)。
控訴人は、本件疾病は公務に起因するとして、昭和六三年五月二五日、地方公務員災害補償法に基づき公務災害の認定請求をしたが、被控訴人は、平成二年九月四日、本件疾病を公務外の災害と認定する処分(以下「本件処分」という。)をした。
二 争点
控訴人の本件疾病は、いずれも公務に起因するか否か。
第三 当事者の主張
当事者の主張は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決が「第三 当事者の主張」と題する部分(原判決四頁六行目から同二三頁一行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。
一 同五頁六行目の「立証貢任」を「立証責任」と改める。
二 同七頁七行目の「診療審査会」を「療養診査会」と改める。
三 同一〇頁三行目の「住居」を「居住」と改め、同一〇行目の「原告」の後に「に」を加える。
四 同一二頁一行目の「亢進すれは」を「亢進すれば」と改め、同一〇行目の「発症原因は」の後に「控訴人が服用している」を加える。
五 同一三頁一一行目の「有った」を「あった」と改める。
六 同一五頁九行目の「作業に三〇分以上かかったこともあり」を「作業は平均三〇分から一時間程度かかり」と改める。
七 同一九頁六行目、同七行目の「有る」を「ある」と改める。
八 同二〇頁一〇行目の後に行を改めて次のとおり加える。
そもそも、使用者の安全配慮義務とは、労働者が業務に服する過程で生命及び健康を害しないように使用者が労働者に対して負担する労働場所、機会その他の労働環境又は労働の管理に当たって配慮すべき義務であり、契約上の損害賠償請求権を基礎づけるものであるのに対し、公務起因性とは、地方公務員災害補償制度上の公務と疾病との間の相当因果関係に関する概念で、そこでは無過失責任が前提とされており、安全配慮義務違反と公務起因性とはその本質を異にする概念である。
使用者の安全配慮義務違反の有無という観点から公務起因性の有無を判断するという考え方は、この両者の本質的な差異を捨象し、使用者の民法上の責任を公務災害補償の場面に持ち込もうとするもので、無過失責任主義に立つ公務災害補償の建て前に反するものである。このように、使用者の安全配慮が適切であったかどうかの点は相当因果関係の成否の判断には何らかかわりがないのであり、仮に、使用者に安全配慮義務違反の事実があったとしても、これをもって直ちに公務と疾病との間の相当因果関係を肯定する要素とはならない。
九 同二一頁一行目の「あること」の後に「の立証責任」を、同五行目の冒頭に項目の「(一)」をそれぞれ加える。
一〇 同二二頁六行目の後に行を改めて次のとおり加える。
仮に、被災者を基準とする考え方を採用すると、被災者の担当した公務が同僚職員にとっては何ら過重でないものであったとしても、被災者の素因が大きければ大きいほど、被災者自身にとっては当該公務がより過重なものであったと評価され、結果的に発症した事実のみをもって、当該被災者本人にとっては公務が過重であったと判断されることになりかねない。これでは、公務に内在する危険性の現実化と言えないだけでなく、公務過重性の判断が被災者ごとに異なり、客観的で公平な公務員災害補償が担保できなくなる。
このような理由から、被控訴人は、公務過重性を判断するに当たり、被災者が占めていた職に割り当てられた日常の業務を基準とし、また、同僚職員を基準として客観的に判断することとしているのである。
一一 同二二頁七行目の冒頭に項目の「(二)」を加える。
一二 同二三頁一行目の後に行を改めて次のとおり加える。
控訴人の主張するところは、控訴人の従事した公務が本件疾病の発症の原因となる可能性があるというに過ぎず、公務と本件疾病との因果関係の蓋然性は証明されていない。
控訴人は、血栓症の発症の最大の原因は公務による精神的ストレスであると主張するが、精神的ストレスが血栓症の主要な発症原因となるかどうかは現在のところ不明であり、仮に何らかの関連があるとしても、精神的ストレスは他の要因との関連において何らかの影響を与えたに過ぎない。また、肝炎の発症・増悪についても、控訴人は、腎移植時の輸血あるいは人工透析によりC型肝炎に感染し、腎移植後、免疫抑制剤の使用により抵抗力が弱まり、また、細菌やサイトメガロウイルスに感染したりして、潜在化していた肝炎の症状が現れてきたとするのが自然である。
第四 争点に対する判断
一 判断の基礎となる経過事実
判断の基礎となる経過事実は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決が「一 争いのない事実及び証拠によって認定した前提事実」と題する部分(原判決二三頁四行目から同二七頁五行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二三頁四行目の「経歴」の後に「及び病歴」を、同行目の「甲」の後に「三ないし一一、一二の3、5ないし7、11ないし13、15、20、一六の1ないし14、二二ないし三一、四〇、四一の1ないし16、四二、四三、」をそれぞれ加え、同行目の「原告本人」を「六三の1、七八、控訴人本人(原審第一回、当審)」と改め、同八行目の後に行を改めて「(昭和五五年三月から同年五月まで入院治療)」を加える。
2 同二四頁五行目の後に行を改めて「(昭和五六年三月から同年七月まで入院治療)」を加え、同一〇行目の後に行を改めて次のとおり加える。
昭和五七年一〇月 このころから、常時、高血圧の症状が出るようになった。
3 同二五頁一行目の「漏出」の後に「するようになった」を、同三行目の後に行を改めて「(昭和六〇年一月一九日から病気療養し、同年四月一九日、休職処分となり、同年五月一日、職務復帰した。)」を、同一一行目の「発症」の後に「(一〇日間入院)」をそれぞれ加える。
4 同二六頁四行目の後に行を改めて「(昭和六三年四月一二日から同月二三日まで肝機能障害により自宅療養した。)」を加え、同一〇行目、同一一行目の「認定した(以下「本件処分」という。)」を「認定する本件処分をした。」と改める。
5 同二七頁一行目の「右認定」を「右処分」と改める。
二 控訴人の公務内容
証拠(前記一冒頭掲記の証拠に加え、甲三四ないし三八、四六、五九の7、8、一五六ないし一五八)及び弁論の全趣旨により認められる控訴人の公務内容は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決が「二 原告の公務内容」と題する部分(原判決二七頁八行目から同三九頁八行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。
1 同二七頁九行目の冒頭に項目の「(一)」を、同一一行目の冒頭に項目の「(二)」をそれぞれ加える。
2 同二八頁八行目の後に行を改めて次のとおり加える。
(三) 一般的に腎移植患者は拒絶反応を抑制するため終生免疫抑制剤の投与が必要であり、その副作用として高血圧、感染症、肝障害等を発生しやすいことから、控訴人は、昭和五六年一一月一日に復職するに際し、市当局の人事担当者に対し、市民との接触が少なく、現金の取扱いの少ない職場への配置を希望する旨申し出た。また、控訴人は、昭和五八年三月ころ、右人事担当者に対して、高血圧症を発症しているとして、他の職場への配置換えを願い出た。
3 同二八頁一一行目の「法人担当と個人担当に二分して、主として」を「市県民税の特別徴収分とその他の税等に二分し、」と改める。
4 同二九頁三行目の「窓口に」を「窓口や」と改める。
5 同三〇頁七行目、同八行目の「法人相手」から同九行目の終わりまでを「納付折衝の業務を担当していたが、昭和五九年度からは、この業務を二分し、控訴人は市県民税の特別徴収分を担当した。」と改める。
6 同三二頁一行目の「管外へ移転した事業主が広島市へ移転通知」を「特別徴収の内容が変わった事業主が広島市へ異動通知」と改め、同一一行目の後に行を改めて次のとおり加える。
(五) 控訴人は、昭和五九年一二月ころから、移植した腎臓から蛋白が漏出するようになった。主治医である京都府立医科大学附属病院の大森吉弘医師は、昭和五九年一二月一七日付診断書(甲一二の5)で、「終身抗免疫剤投与と医師の厳重な管理下での労働が必要であり一般的に労働への制限がある。現在移植腎から蛋白が漏出ており、今後も十分なる検査と管理が必要で移植腎の運命は不明である。」との診断をした(なお、右診断書は市当局の人事担当者にはその当時提出されなかった。)。
控訴人は、昭和六〇年一月、深部・下大静脈血栓症を発症し、同月一九日から病気療養し、同月二一日から医療法人広和会福馬外科病院に、次いで、同月三一日から同年三月末まで京都府立医科大学附属病院に入院し、同年四月一九日、休職処分となり、同年五月一日、職務復帰した。産業医である広島大学医学部附属病院の小野栄治医師は、右職務復帰に際して提出された職務復帰申請書に添付された同年四月二四日付の診断書(甲三一)で、病名は腎移植術後下肢静脈血栓症であり、静脈血栓の再発の可能性があり、外来通院、投薬治療の続行を要するとし、勤務の制限等についての意見として「腎移植の術後であり、下肢静脈血栓症を併発し現在はかなりの改善を認めているが、勤務内容は、内勤で軽作業が望ましい。」との診断をした。また、控訴人の右職務復帰申請に対し、広島市の療養診査会は、軽労作に限り職務が可能である旨の所見を付した。
7 同三三頁五行目の「兼務となり、」の後に「執行停止決議書の作成、窓口での納付相談の対応等の業務に従事した。」を、同六行目の末尾に「この期間の業務はいずれも内勤であった。」を、同九行目の「担当し、」の後に「同年六月から常時外勤職員として」をそれぞれ加える。
8 同三四頁六行目、同七行目の「一〇分から二〇分であった」を「通常片道二〇分程度かかり、ときにはそれ以上かかることもあった」と改め、同一一行目の「基礎番号を」の後に「もって」を加える。
9 同三六頁三行目、同四行目の「通常」から同四行目の終わりまでを「ある程度習熟した同僚の職員にとっては、一〇分から一五分程度の作業量であったが、控訴人は右作業に習熟していないこともあって三〇分程度かかることが多く、ときにはそれ以上かかることもあった。」と改める。
10 同三七頁七行目の後に行を改めて次のとおり加える。
(四) 控訴人の昭和六一年四月から昭和六二年三月までの外勤日数は本判決別表6の各該当月欄記載のとおりであり、同期間の時間外勤務及び休日勤務の状況は本判決別表7の各該当月欄記載のとおりである。
なお、地域振興課職員の時間外勤務及び休日勤務の月平均時間数は昭和六一年度が17.9時間、昭和六二年度が17.7時間であり、安佐南区職員のそれは11.6時間、12.7時間である。
(五) 控訴人は、昭和六一年七月に唾液腺炎となり、同年八月には肝機能障害が出現し、同年一〇月には肝炎が発症し、通院治療を続けていたが、昭和六二年一月には帯状疱疹が発症し一〇日間入院治療した。
控訴人は、昭和六一年一〇月ころ、上司に外勤作業から外してほしい旨を申し出て、昭和六二年一月及び二月には外勤作業から外れ、内勤作業を行った。
11 同三七頁八行目の「昭和六二年度」を「昭和六二年四月から昭和六三年三月まで」と改める。
12 同三八頁一行目の「求めることもあった。」を「求めるなどして付定作業(外勤)を行った。控訴人の昭和六二年四月ないし六月の外勤日数は、本判決別表6の各該当月欄記載のとおりである。」と改める。
13 同三九頁七行目の「五月には」の後に「本判決別表7の同月欄記載のとおり」を加え、同八行目の後に行を改めて次のとおり加える。
(五) 控訴人は、昭和六二年六月ころ、上司に、内勤を申し出て、同年七月からは、専ら住居表示変更証明書の交付、窓口や電話での住居表示についての市民からの問い合わせへの対応、街路台帳の整理等の内勤作業に従事した。この間、控訴人は、同年八月には血栓症様の症状が出現し、同年九月には肝機能が増悪し昭和六三年一月ころまでその状態が継続した。
(六) 広島大学医学部附属病院の板本敏行医師は、昭和六三年三月七日付の診断書(甲一二の一一)で、控訴人は慢性腎不全腎移植術後、深部・下大静脈血栓症、慢性肝炎、高血圧で通院治療中であり、医師の厳重な管理及び生活指導が必要であり、就労は可能ではあるが、勤務は軽作業に限る旨を診断し、控訴人は、同月、被控訴人の人事担当者に右診断書を提出して、内勤軽作業の職場に配置転換するように申し出た。
6 昭和六三年四月以降
(一) 控訴人は、昭和六三年四月一日、安佐南区役所祇園出張所に配置転換となり、住民基本台帳関係諸届の受付及び各通知の処理等の内勤作業を担当した。同月及び同年五月は時間外勤務及び休日勤務は行っていない。
(二) 控訴人は、昭和六三年四月ころ、肝機能が悪化し、同月一二日から同月二三日まで自宅療養した。京都府立医科大学附属病院の大森吉弘医師は、同月一八日付の診断書(甲四一の12)で、就労は軽易な労務に限ると診断した。
三 本件疾病と公務との因果関係についての医師の意見
本件疾病と公務との因果関係についての医師の意見は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決が「二 本件疾病と公務との因果関係についての医師の意見」と題する部分(原判決三九頁一〇行目から同四七頁一行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。
1 原判決四〇頁四行目の「B型もなく」を「B型でもなく」と改める。
2 同四三頁九行目の「時間内」を「一時間以内」と改める。
3 同四七頁一行目の後に行を改めて次のとおり加える。
6 松坂知恒医師(松坂眼科医院院長)の意見(甲一四九、一七五)
(一) 深部・下大静脈血栓症は、腎移植後の合併症としてはまれなものである。同医師が所属していた広島大学医学部第二外科及びその関連施設において一九六四年から一九九六年にかけて施行された二〇三例の腎移植手術のうち深部・下大静脈血栓症を合併したものは一例に過ぎない。現代医学でも、深部・下大静脈血栓症の発症機序は完全には解明されていないが、控訴人が従事した税金徴収業務に起因する精神的ストレスによって発症した可能性は非常に大きい。
(二) 控訴人の肝炎は、C型肝炎ウィルス(HCV)あるいはサイトメガロウィルス(CMV)など他の感染症の可能性もあるが、これらのウィルスが体内に入ったからといって、たちまち肝炎を発症するわけではなく、免疫機能が低下することにより、体内にひそんでいたウィルスが顕在化して肝炎を引き起こす。疲労の蓄積や脱水などの身体的ストレスによって、免疫能が弱まるが、特に控訴人は、免疫抑制剤によって免疫能は弱まっており、健常者よりも容易に発症することが考えられる。
7 丸林誠二医師(広島大学医学部第二外科)の意見(甲一五〇)
本院の患者である控訴人の肝炎については、A型、B型ではなく、HCVによるものと考えられる。しかし、肝炎の進展には過重な労働がその増悪にかかわっていることは否定できない。腎移植手術を受け、免疫抑制剤を服用している患者には、仕事の軽い職場に復帰させる等の配慮を要する。
四 公務起因性の判断基準
1 地方公務員災害補償法は、地方公務員の公務上の災害(負傷、疾病、障害及び死亡)による補償について定めるが、ここに公務員について生じた疾病が公務上の災害であるというためには、公務と疾病との間に相当因果関係があることを必要とする。
そして、公務と疾病との間に相当因果関係を認めるためには、その前提としてその間に条件関係、すなわち、公務がなければ疾病の発症・増悪は生じなかったという関係があること、言い換えれば、疾病の発症・増悪に公務が有意に寄与したといえることが必要である。したがって、医学的にみて、公務が疾病の発症・増悪の原因とはなり得ないとか原因となるか否か不明である場合には、条件関係そのものが認められないことになる。もっとも、この条件関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則上、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで十分である(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁)。
ところで、疾病の発症・増悪につき、複数の原因が競合している場合、例えば、発症・増悪した疾病につき、当該公務員の基礎的疾病と公務の双方に条件関係が認められる場合には、公務と疾病との間に相当因果関係の有無が問題となる。この場合、公務と疾病との間に相当因果関係を認めるためには、地方公務員災害補償制度が、公務に内在あるいは随伴する危険性が現実化した場合に、それにより発症・増悪した疾病につき補償するものであることからすると、条件関係に加えて、当該公務が当該疾病の発症・増悪の危険性を含むものと評価できることを要するものといわなければならない。そして、この公務に内在あるいは随伴する危険性は、当該公務の内容・性質からみて、これを遂行することができるだけの心身の健康、能力を有すると認められる公務員が当該公務を遂行するに当たり、これに起因する疾病を発症すれば、右発症は、当該公務の危険性が顕在化したものということができる。また、この場合ばかりでなく、もともと、基礎的疾病を有するため担当しうる公務の制限を受けるべき公務員についても、現実に担当した公務の遂行が当該公務員にとって過重な負荷となって、基礎的疾病の自然的な経過を超えて疾病が発症・増悪したと認められるときには、その公務に内在あるいは随伴する危険性が現実化したものとして、相当因果関係を肯定するのが相当である。
2 被控訴人は、公務と疾病との間の相当因果関係を認めるためには、当該公務が疾病との間でその他の原因と比較して相対的に有力な比重を占めている必要があり、また、当該公務が相対的に有力な原因であるというためには、同種公務を担当する同僚職員が当該公務を行った場合でも、やはり疾病発症の原因となったであろうと評価できる普遍的妥当性が認められる場合に限られると主張する。
しかしながら、公務が疾病との間でその他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていると認められる場合に相当因果関係を認めるにしても、公務が相対的に有力な原因となっているといいうる場合を被控訴人主張の場合に限定する根拠は見当たらない。また、公務起因性の有無は個々の公務員について判断されるべきものであり、担当した公務が当該公務員にとって過重なものであり、これにより基礎的疾病の自然的な経過を超えて疾病が発症・増悪したと認められる場合であれば疾病との間に相当因果関係を認めるのが相当である。
被控訴人は、このように被災者を基準とする考え方を採用すると、公務過重性の判断が被災者ごとに異なり客観的で公平な補償が担保できないと主張する。
しかしながら、地方公務員災害補償制度は、公務により被災した地方公務員を救済するための制度であるが、被控訴人のような基準を用いた場合には、基礎的疾病を有するために公務を制限される公務員については、事実上、これを右補償制度の対象外におくことになり、相当とはいえない。もっとも、この点については、公務を制限されるべき公務員が同僚職員と同程度の公務に従事したことによって被災した場合には、使用者の安全配慮義務違反による損害賠償により救済が図られるべきであるとの考え方もあり得ようが、この場合には、使用者の予見可能性や結果回避可能性が請求の要件とされるので、直ちに当該公務員が救済されるということはできず、これをもって、当該公務員を、事実上、公務災害の補償の対象外とすることを正当化することはできない。
3 控訴人は、使用者に安全配慮義務違反が認められる場合であれば、立証責任は転換され、被控訴人側に反証がない限り、公務起因性は認められるべきであると主張する。
しかしながら、安全配慮義務は、使用者の災害についての予見可能性、結果回避可能性等を要件として、損害賠償請求権を基礎づけるための要件であるのに対し、公務起因性は、無過失責任主義による災害補償の要件であり、この両者はその本質を異にするものである。したがって、控訴人の右主張は採用できない。
五 本件疾病の公務起因性
1 血栓症の発症の公務起因性
(一) 控訴人の血栓症の発症経過
控訴人は、昭和五五年三月、慢性腎不全を発症し、人工透析を受けるようになり、同年五月には、身体障害者一級の認定を受けたこと、昭和五六年四月、腎移植を受け、以後、免疫抑制剤及び副腎皮質ステロイド剤を服用していたが、昭和五七年一〇月には高血圧症となり、昭和六〇年一月中旬に深部・下大静脈に血栓症を発症したこと、このため、同月一九日から入院、通院、自宅療養を続け、同年五月一日に職務復帰したことは、前記一1、二認定のとおりである。
(二) 前記三の事実に加え、証拠(甲一二一、一三四ないし一三六、乙五、一一)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。深部・下大静脈血栓症は、深部・下大静脈の中の血液が凝固し、血栓が形成されて深部・下大静脈の内腔が閉塞する病気であり、年齢、長期臥床、下腹部の広範な手術時侵襲などがその危険因子とされ、ステロイド剤の副作用として発現することが知られている。腎不全で人工透析に至る患者は血管、体液等の問題が原因となって血栓が発症することがあり、また、腎移植後には、免疫抑制剤やステロイド剤を継続的に服用するために血管が硬化するなどして血栓を形成する誘因となることも考えられる。さらに、ストレスについては、これにより血小板の粘着機能・凝固機能が亢進し血栓を形成する場合と、逆に線溶系の亢進を起こす場合とがあるとされている。なお、高血圧は、腎移植の合併症としてよく知られているが、その原因となる要因は明らかではない。
(三) 控訴人が血栓症を発症するころまでの公務の内容の詳細は、前記二1、2のとおりであり、その要旨は次のとおりである。控訴人は、昭和五五年五月一五日から中区役所収納課第一収納係に勤務し、腎移植を受けた後、昭和五六年一一月一日に同係に復職した。右復職後、外勤及び時間外勤務を免除され、内勤により管外(中区以外)分にかかる市県民税等の滞納整理のため電話による納付折衝を同僚職員一名とで担当した。なお、この同僚職員は、外勤及び時間外勤務も行っていた。昭和五九年四月からは、従前の業務を二分し、市県民税の特別徴収分を控訴人が、それ以外の分を内勤の同僚職員一名が担当した。対外折衝の件数は、昭和五九年当時でみると、控訴人と内勤の同僚職員一名がほぼ同程度の件数を処理し、他の外勤職員八名が、外勤と内勤を併せて一名当たり右内勤者二名のほぼ倍近い件数を処理していた。このほか、控訴人と同僚職員は、他の外勤職員が外勤中は、上司の係長とともに窓口や電話で市民から寄せられる相談や苦情の対応をした。一か月に一、二回程度滞納者から罵詈雑言を浴びせられたりすることもあり、また、昭和五九年八月ころには処理に一か月程度を要する紛争があったりしており、控訴人としては、かねてから、この公務に精神的なストレスを感じ、昭和五八年三月ころには、他の職場への配置換えを申し出るなどしていた。
(四) 以上の事実によれば、控訴人は、昭和五六年一一月から昭和六〇年一月ころまで、内勤に制限されてはいるものの他の内勤の同僚とほぼ同程度の公務を担当し、本件疾病である血栓症を発症するまで、格別の支障なくその公務に従事していたものと認められる。また、控訴人は外勤及び時間外勤務を免除されており、血栓症発症前の公務内容をみても、特段、過重な公務が控訴人に加えられたという事情は見当たらない(なお、控訴人が主張する公務の過重性が認められないことは、原判決五四頁二行目から同五五頁九行目に記載するとおりであり、これを引用する。また、昭和五七年一〇月に罹患した高血圧症についても、これが腎移植の合併症として発症したとも考えられ、直ちに公務の過重性を裏付けるものとは認められない。)。
控訴人は、昭和五八年三月ころには、他の職場への配置換えを申し出るなどしており、この職種に精神的なストレスを感じていたことは前記のとおりである。しかしながら、控訴人は、腎移植後、継続的に免疫抑制剤及びステロイド剤の投与を受けていたことからすると、免疫抑制剤やステロイド剤による血管壁の硬化により、あるいはステロイド剤の副作用による血栓症の可能性も否定できず、右公務によるストレスが、血栓症の発症にどの程度作用したものか否か判然とせず、結局のところ、控訴人の血栓症の発症が公務によるストレスの危険性の現実化によるものであるとまでは認めるに足りない。
2 肝炎の発症・増悪の公務起因性
(一) 控訴人の肝炎の発症・増悪の経過
控訴人は、昭和六一年八月に肝機能障害が出現し、同年一〇月に肝炎を発症し、通院加療及び経過観察をしていたが、昭和六二年一月に帯状疱疹を発症し、この療養と併せて入院加療を行ったものの、肝炎は慢性化したこと、同年九月ころから肝機能の増悪傾向を示したため、通院加療を行ったが、昭和六三年一月ころまで増悪傾向を示し、同年二月ころに改善されたものの、同年四月に再び増悪傾向となり、同月一二日から同月二三日まで自宅療養したことは、前記一1、二認定のとおりである。
(二) 前記三の事実に加え、証拠(甲一二の21、一五の3、乙四の3、六ないし九)及び弁論に全趣旨によれば、次の事実が認められる。控訴人の罹患した肝炎は非A型非B型であり、平成三年一〇月に陽性とされたC型肝炎ウィルスあるいはサイトメガロウィルスなど他の感染症に関連するものであると推認される。これらの肝炎の発症・増悪の機序は必ずしも明らかではないが、ウィルス性の慢性肝炎ではウィルス感染を基盤にした免疫学的肝細胞障害とされ、免疫機能の低下が誘因になることは医学的な経験則上否定できない。この免疫機能の低下の原因としては、免疫抑制剤の服用、肉体的精神的ストレスなどがある。肝炎に罹患すると、急激に肝炎の症状を起こす急性肝炎になることがあり、また、数十年にわたり感染が続く慢性肝炎となることがある。
(三) 控訴人の肝炎が発症・増悪するころまでの公務の内容の詳細は、前記二2(五)、3ないし6のとおりであり、その要旨は次のとおりである。控訴人は、前記1(一)のとおり血栓症により療養をしていたが、昭和六〇年五月一日、復職した。右復職に際して提出された職務復帰申請書に添付された産業医の診断書では、静脈血栓の再発の可能性があり、外来通院、投薬治療の続行を要し、勤務内容は、内勤で軽作業が望ましいとされ、広島市の療養診査会は、軽労作に限り職務が可能である旨の所見を付していた。控訴人は、右復職後昭和六一年三月まで、安佐南区役所地域振興課広報公聴係等の内勤作業に従事した。控訴人は、昭和六一年四月からは、地域振興課振興係に配置換えとなり、同年六月から常時外勤職員として他の二名の職員とともに主として外勤作業である住居表示付定作業を担当した。この作業は、二名が一組となって、公用車で現地に赴き、一街区の周囲をメジャーで実測し一〇メートルごとに基礎番号を付し、建物の主な出入り口の該当する基礎番号をもって建物番号とする作業を行うというものである。一回当たりの調査件数は約三件であり、一件当たりの現地調査時間はある程度習熟した同僚の職員にとっては一〇分から一五分程度の作業量であったが、控訴人は右作業に習熟していないこともあって三〇分程度かかることが多く、ときにはそれ以上かかることもあった。帰庁後、計測結果を平面図に作成し、これを添付して新改築届に決裁を受け、届出人に住居番号通知書を送付し、街路台帳に必要事項を記載するなどの作業であった。昭和六一年七月からは、同僚職員一名が他の作業に従事するようになったため、控訴人は他の一名の同僚職員とともに住居表示付定作業に従事することになり、さらに、昭和六二年四月から同年六月までは、右作業に主に従事する職員は控訴人一名となったため、控訴人が中心となって他の職員の応援を求めるなどして右作業を行った。昭和六一年六月から昭和六二年六月までの控訴人の外勤日数は、前記帯状疱疹及び肝炎の入通院等の治療につき外勤を外れた昭和六二年一月及び同年二月を除き、一か月平均一七日であり、他の同僚職員二名の昭和六一年四月から昭和六二年六月までの外勤日数が一か月平均18.6日であることからすると、ほぼ同僚職員と同程度の外勤を行っていたものと推認される。また、控訴人は、区民スポーツ大会、夏の交通安全運動、区民祭り等の業務のために、昭和六一年五月、七月、九月、一〇月、昭和六二年五月には、他の地域振興課あるいは安佐南区の職員と同程度の時間外勤務及び休日勤務を行った。さらに、昭和六二年五月には、新住居表示の実施に伴い、市民等からの問い合わせ、住居表示変更証明書の交付業務が急増し、控訴人ら振興課職員は全員でこれらの対応に当たった。控訴人は、同年六月ころ、申し出により内勤作業に従事するようになったが、同年九月には肝機能が増悪し昭和六三年一月ころまでその状態が継続したため、控訴人は、同年三月、内勤軽作業の職場に配置転換するように申し出た。控訴人は、同年四月一日、安佐南区役所祇園出張所に配置転換となり、住民基本台帳関係諸届の受付等の内勤作業を担当することになったが、肝機能障害が悪化し、同月一二日から同月二三日まで自宅療養するに至った。
(四) 以上の事実によれば、控訴人は、昭和六〇年五月一日に復職後昭和六一年三月までは内勤作業に従事したが、同年六月からは、常時外勤職員として主として外勤作業である住居表示付定作業に従事し、他の二名のある程度習熟した同僚職員とともにほぼ同程度の外勤作業を行い、同年七月からは、内一名が他の作業に従事するようになったため、他の一名の同僚職員と二名で住居表示付定作業に従事するようになり、さらに、区民スポーツ大会、夏の交通安全運動等の業務のために、同年五月、七月、九月、一〇月に、他の地域振興課あるいは安佐南区の職員と同程度の時間外勤務及び休日勤務を行ったものであり、昭和六一年六月以降、地域振興課の常時外勤職員として同僚職員と同程度の公務に従事したものと認められる。ところで、控訴人は、身体障害者一級に認定され、右復職時において、血栓症の外来通院、腎移植後の免疫抑制剤を含む投薬治療を継続しており、このため、産業医・療養診査会とも、内勤で軽作業が適当である旨の判断をしていたのである。控訴人は、これらの治療を継続しながら右のような外勤作業を主とする公務に従事する過程で、昭和六一年八月に肝機能障害が出現し、同年一〇月に肝炎を発症し、さらに、このための通院加療及び経過観察をしながら右のような公務を継続し、昭和六二年一月には帯状疱疹を発症し、肝炎は慢性化するに至ったのである。
右の経過に照らせば、控訴人の肝炎の発症は、控訴人の基礎的疾病である非A型非B型ウィルス性肝炎の症状が現れたものであり、その発症の原因には、控訴人の服用する免疫抑制剤の副作用もあるが、公務による肉体的精神的ストレスによる免疫力の低下もその原因となっているものと認めることができる。そして、控訴人の従事した右公務は、健常な同僚職員にとっては通常程度の作業量の外勤等を主体とする作業であるが、控訴人は、右のとおり身体障害者一級の認定者であり、腎移植を受け、かつ、血栓症を発症し、そのための外来通院、免疫抑制剤を含む投薬治療を継続していたのであり、このことからも、産業医・療養診査会とも、内勤で軽作業が適当である旨の判断をしていたのである。右のような控訴人の身体状況で通院等の治療を継続しながら従事した右公務は、控訴人にとって相当程度に過重なものであり、このために、右基礎的疾病の自然的な経過を超えて肝炎が発症したものと認めるのが相当である。したがって、控訴人の肝炎の発症は、右公務に内在する危険性が現実化したものというべきである。
次に、控訴人の発症した肝炎は、昭和六二年一月ころから慢性化し、同年九月ころから昭和六三年一月ころにかけて増悪傾向を示し、同年二月ころに改善されたものの、同年四月に再び増悪傾向となったものであるところ、控訴人は、昭和六二年一月及び二月には、前記帯状疱疹及び肝炎の入通院等につき外勤作業に従事しなかったが、同年六月までは右身体状況で右外勤作業に従事し、また、同年五月には、区民スポーツ大会のために、他の地域振興課あるいは安佐南区の職員と同程度の時間外勤務及び休日勤務を行い、さらに、同月には、新住居表示の実施に伴う業務が急増し、同年七月以降は、申し出により内勤作業に従事するようになったものの右のとおりの肝炎の増悪傾向を示したのである。そうすると、控訴人の肝炎が慢性化したことは、右の肝炎の発症と同様に過重な公務により自然的な経過を超えて肝炎が慢性化したものと認めるのが相当である。控訴人の昭和六二年九月以降の肝炎の増悪についてみれば、確かに控訴人は、同年七月以降、内勤作業に従事していたのであるが、右の経過をみれば、肝炎の右増悪は、肝炎が過重な公務により慢性化したことによる一連の病態としてとらえることができるのであり、右肝炎の増悪も右公務に内在する危険性が現実化したものというべきである。
そうすると、控訴人の右肝炎の発症・増悪は、控訴人の従事した公務の危険性が現実化したものとして公務起因性を認めるのが相当である。
六 結語
以上の次第で、本件処分は、本件疾病のうち肝炎の発症・増悪につき、これを公務外の災害と認定した限度で違法であるから、右の限度で本件処分を取り消すこととする。
よって、原判決はこれと一致する限度で相当であるが、これと一致しない限度で相当でないから、原判決主文一項を本判決主文一項1、2のとおり変更することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官笠原嘉人 裁判官金子順一)